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シスコ閉店に寄せて
December 14, 2007
シスコがなくなった。僕はポジティブに捉えようと思う。
90年代はじめからシスコが担ってた役割、店舗型のレコード店のひとつのモデルの終着地点やったと思う。
なくなったのは残念なんやけど、これからのことを考えていきたいと思う。
これからはそのシスコのフィルターがなくなることによって、買う側の力量が問われてくる。
レコードを買うっていう部分で、買う側のフィルターが問われてくるから、いろいろ混沌としてきて、買われるレコードの拡散化もあるやろう、仕入れる側にもフラットな視点がでてきてもおもろいやろうし、いろんな意味で混沌としてなにかおもろいもんがでてけえへんかと、脳天気に期待したい。
買うレコードも均一化や平均化がなくなればええと思うんやけど、いち個人の好みと傾向に比重バランスが多くなってくることを予想するけど、情報が少なくなる分今までよりもっと均一化や平均化、格差が進む懸念もある。ハウスDJがテクノのレコードを純粋に聞いていいと思って買って楽しむことや、テクノのDJがハウスのレコードをジャンル関係なしに純粋に聞いていいと思って買って楽しむことやったり、広がりには期待したいと思う。
店舗型レコード屋が担ってた役割、コミニュケーションをとりながらレコードを売ったり買ったりする双方向のわかりやすいやりとりがなくなるわけやから、そうなってくることは当然といえば当然のことなんやけど、音楽が純粋に聞く側にダイレクトに届くことによる化学反応に期待したいし、それによって聞いた人がどういう行動をするかにも期待したい。淘汰もされてくる。
昔の大阪ではジャンルとか関係なく、ほんまおもろいかおもんないか、それだけでいろんな音楽が混沌として身近にあふれてて、訳分からんこと言うやつとか訳分からんパーティーとか勝手にやってるやついっぱいおったんやけど、そこまでとは言えへんけど、なにかおもしろい化学反応があればいいなと思う。
店舗型レコード屋が担ってたレコードを売るだけやないそのほかの役割(フライヤーとか人との出会い)は、ひとまずクラブやパーティーが担っていくことになるやろう。これからの店舗型レコード屋のモデルも模索されなあかんと思うんやけど、今まで以上に現場やクラブ、パーティーが大切になってくると思ってる。より現場でコミニュケーションを求められるようになるのかも。
僕はバイナルに心を動かされて音楽を聞き始めた人間で、そのバイナルの溝に掘られた音からいっぱい音楽を知った。
これは別にMP3を陥れたいとかレコードを過剰に崇拝してるとかそういうことやないんやけど、まだMP3になってへんバイナルの溝だけでしか聞かれへん音楽はいっぱいある。
今の20歳過ぎのDJ始めたての子が、CDRでDJをやる子が多いのは知ってるし、コンピューターだけを使ってやる子もいる。ダウンロードできるサイトから1曲ずつ曲をダウンロードして、それを使ってDJしてるんも知ってる。
おれは18歳の時、クラブで聞いた『おー』って思ったレコード欲しさにレコード屋を回ってレコードを買ってて、そういう買い方は今でも変われへんし、当時はそういうふうに音楽と出会うことが普通やったんやけど、レコードを実際手にとって自分で確かめながら音楽を聞くことにしっくりいく。
まわりの友達で高校生の時初めてシスコでレコードを買ってテクノを聞き始めたってやつも知ってるし、大学進学がたまたま大阪になった為にロケッツに遊びに来てはまり、そのままシスコに通って、どっぷりテクノにはまったやつも知ってる。
今の18歳のガキが、レコード欲しさに渋谷を、レコード屋を回ってるとは想像しがたい。でもそれもありやと思う。
自力が問われてくるような。おもしろくなってきた。
シスコに携わった全ての人達、お疲れ様でした。ありがとう。